振り返ってみると、僕は一昨年の春に娘が生まれてからこの2年間に、数え切れないほどのたくさんの短い歌を娘のために作って、それを娘に向かって歌ってあげた。その大半は「娘よ。君はなんて可愛い子なんだろうね♪ 今、君と見ているのは○×、キレイだね♪ 今、君と一緒にやっているのは○×、楽しいね♪」という、娘とともに過ごしたひと時を即興で歌ったものだ。そのほとんどを歌った直後に忘れてしまったけど。娘が喜んでくれれば、それでよかったのだ。その甲斐あってか、娘は歌が大好きな子に育ってきた。
なのに、僕はこの2年間、ORITOの歌う歌・あるいはORITO作として他のアーティストさんに提供する歌を、全然書かなかった。だって、この数年間はせっかく良い歌が出来ても、それをORITO名義で形に残し世に出すことができなかったのだもの。最近、ようやく配信リリースされ、好評を得ている僕の新作「感謝の歌」や「メイフィールド」ですら、それらを書いてから3年以上にわたって日の目を見ずに、ある時期にはもうこれは流産かもしれないという有り様だったのだから。この2年間は、それでもたまには歌想が湧いてきて歌作りに取り掛かると、すぐに「もしこれが良い歌だったら、俺はせっかくの良い歌を世に出せない悲しみとやるせなさを、またさらに一つ抱えることになるのか。」と思えてきてしまって、結局は歌作りを途中でやめてしまった。そういう2年間だった。
ようやく今年になって、新作や客演作を再び世に出せるようになったので、僕はようやく歌作りをする意欲が復活した。「本当に良い曲なら、たとえ時流による妨害を受けようとも、いつかは世の中に認めてもらえるものなのだ。」ということが、あらためてわかったから。
僕にとってのソング・ライティングというのは、文章が好きな人が日記や手紙を書き、絵が好きな人が絵を描くのと同じで、対象の描写や心象の表現に没頭する行為そのものが、僕には一種の精神的セラピーなんだと思う。そして、そうした自身への慰安行為を通じて生まれた数々の歌のうちの、ごく一部の歌は、心を込めて人様に贈りたい僕からの贈り物となる。そしてさらに非常に稀にではあるけれど、僕からの贈り物というよりもむしろ、僕が神様から「これを汝から人々に届けるように。」と授かった神託であるかもしれないと、思うことすらある。これは勝手な思い込みもはなはだしいが、これくらいの信念がないと、自分の書いた歌を人に楽しんでもらおうなんて大それた行為は、なかなかできやしないのです。そんなわけで。
最近、大阪のソウル・バーMarvinのまびマスさんのために、僕はMarvinでの投げ銭ライヴの最中に、彼の書いた歌詞に即興でメロディーをつけ歌にしました。J-R&B期待の新星 JAY’ED君のためにBLUESを書きました。これらの2曲は形に残り世に出ることになるでしょうか。さて、さらに僕はORITOの歌う歌を久々に書いてみようと思います。そしていつか、人々に親しみをもって口ずさんでもらえる童謡を神から授かりたい。